かけっこ
「かけっこを始めよう」
げんちゃんは、そう言った。そこは、木陰の涼しげな縁側で、風鈴がチリンチリンとなっている。でも、外は暑くて、その証拠に、コースターの上のガラスのコップは、たらたらと汗を流している。家の門を通して見えるアスファルトは、白くまばゆい光が差し込んで、ゆらゆらと蜃気楼が揺れていた。
「暑いからやだよ。それに、どうせ、げんちゃんが勝つに決まっている」
「勝ち負けじゃないよ。さあ、行こう!」
げんちゃんは、スタートダッシュを切って、歩道へと駆けていった。
彼に追いつけば良いのだろうか?
「オカ君はどうする?」
僕よりもさらに線の細い少年に聞く。
「僕は行くよ」
彼は、小さな丸い目に決意の光を灯して、歩道へと飛び出して行った。僕は、ひとりぼっちだけは嫌だったから、彼の後を追いかける。アスファルトは、固くて痛いし、太陽が照りつけるおかげで、汗はとめどなくこぼれた。でも、景色は良かった。並木の緑、屋根の赤、ブロック塀の灰色までも、とてもみずみずしく、新鮮に映った。
気づけば、僕は、オカ君を追い抜いていた。
オカ君を超えると、彼方先には、げんちゃんの後ろ姿があった。彼は、やっぱり足が速くて、どんどん小さくなっていく。僕は、追いつけるように、歩幅を大きく走った。
突如、キキーッと、急ブレーキの音が後ろからした。振り返ると、オカ君はいなくなっていた。
「オカ君?」
呼びかけても返事はない。僕は、道を逆走しようとしたけど、呼び止める声があった。
げんちゃんだった。彼も、道の先で、呆然と後ろを見ていた。
「オカ君は、そこにはいないよ。ずっと先に行ってしまった。僕らも前に進まないと」
げんちゃんは、そう言って、再び駆け始めた。僕も、その後を追いかける。やがて、僕らの走っていた道は、もっと大きな道に合流した。そこには、僕らと同じように走る人達が沢山いて、僕らは、混ざり合い。同じペースで走り始めた。
集団のペースは、速いわけでも、遅い訳でもなかった。だけど、以前のように、全速力で走るわけには行かなかった。押しのけて進めば、群れに弾かれて、逆にこけてしまうから、だから、僕は皆に会わせて、皆より少し速いペースで走った。前を走るげんちゃんも、そうしていた。
しばらく集団で走っていると、目の前に、門が見えた。それは、道の幅と同じ大きさの門だったから、僕らは全員通らなくてはならなかった。そして、門の先には、もっと大きな道が広がっている。そこには、息切れをしたオジサンや、座り込んだおばあさんがいた。
門の屋根の上には、物々しい教壇とピシッとしたスーツの男がいた。
「この門を抜けたら、全速力で駆けなさい」
彼は、そうやって僕らを鼓舞した。
門を超えたら、群れは一斉にほどけた。だけど、風景は変わらなかった。
空の青、ポストの赤、そして、アスファルトの灰色。ふと、昔より色あせて見えることに気づく。こぼれた汗の分だけ、水彩の優美さが抜け落ちているようだ。……でも、立ち止まって景色を見渡さなければ、虹彩の変化は、気にならない。
げんちゃんを追いかけることで精一杯な僕には、関係のない話だった。黒い革靴が、すり減っても、賢明に彼の後ろを追いかけた。
次第に、げんちゃんの後ろ姿が大きくなった。
彼の隣には、女の人がいた。彼は、彼女の歩幅に合わせて走り始めたのだ。だから、追いつけるくらいに遅くなっていた。そして、ある時を境に、ぐっと、スピードが落ちた。
僕は、するりとあっけなく、げんちゃんを抜いてしまった。振り返ると、彼は乳母車を押していて、そこには、すやすやと眠る赤ん坊がいた。げんちゃんは、その赤ん坊の寝顔を見ることで、満足しているようにも見えた。
孤独だった。
僕は、目標を失い。さまようように道を走った。蜃気楼のような、げんちゃんの幻を追いかけていた。先を行く愚鈍な者は、突き飛ばし、突き飛ばされた者から足を掴まれれば、踏みつけた。進み続けて、ずっと良い靴を履いた。ずっと良い服を着た。ずっと良い時計もはめた。だが、体から抜け落ちた水を、再び得る方法はなかった。
やげて、前を走る者は誰もいなくなった。
私は、杖をついていた。杖を握る手は、枯れ木のように細く、水溜まりに映る自分は、白く黄ばんだ髪も相まって、痩せほせた猛禽類に似ていた。今にも、折れそうな体であったが、私は歩くことを止めなかった。進む以外の生き方を知らなかった。
カラカラと車輪の音がした。やがて、車輪の音は大きくなり、私は車椅子に乗った老人と、それを押す青年に追い抜かれた。老人は、私に振り返ると、ぬけ道を指さして、脇にそれていった。網膜に焼き付いていた幻覚のげんちゃんは、ふっと消えて、私は彼らの後に続くことにした。
ぬけ道の先は、木漏れ日の差す縁側になっていた。そこには、我々を待っていたように、小さな男の子が一人座っている。男の子の横には、丸い盆が置かれていて、そこには、三杯のグラスに注がれた色の濃い緑茶があった。
「勝ち負けじゃないよ」
車椅子の老人が言う。
「最後に飲むこれの味は、人によって違う。これまで歩んだ道のりによって味が違う。そのための旅だった」
車椅子の老人は、縁側に腰を下ろした。車椅子を押していた青年は、元の道へと帰っていく。
「一緒に飲もう」
老人がそう言うので、私は彼の隣に座った。
「じゃあ、僕から」
私たちを待っていた少年が、真っ先にグラスを取って、緑茶を飲み干した。
「君は若いから、緑茶は苦いだけだろう?もっと歳をとってから、緑茶を飲みたいとは思わなかったかい?」
私が聞くと、少年は首を振った。
「僕の緑茶の味が苦いと決めつけるのは良くないよ。……それに、この味は僕だけのもの。きっと言葉にしても伝わらない」
少年の小さな丸い目が光った。
「では、次は私が」
老人が飲み干す。それに続いて私も飲み込んだ。
「味はどうかね?」
老人が聞く。
「まずいな。甘くもないし、苦くもない。なんともいえない味だ」
私は顔をしかめて言う。老人は笑った。
「いいじゃないか、そうでなくてはつまらない。君の味が少しうらやましい。私の緑茶にはない味がしたのだろう?」
「ああ、多分ね。オカ君とも、げんちゃんとも違う味さ」
私は久しぶりに友の名を呼んだ。
この人生の終わりに。
テレポート反対派
バスに揺られて、窓を見る。
曲線美の世界。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた横断歩道。
カーボンによる第三次技術革命を経た町は、平面の世界から解放され、不規則で混沌と、所狭しと、宙を占拠した。最早、鳥の入り込む隙間はなく、代わりに、AI搭載ドローンが、生物には許されぬ精密な軌道で、町を潜り抜けていく。
暗い。
道路という先時代の産物が、高騰した日照権を得られる訳もなく。カーボンの森の日陰に、死骸のように横たわっている。
この惨めな道が、そこを走る錆びたバスが、自分の行く末を暗示しているような……。
俺は憂鬱になる。
パーティーの招待状が来たのは、一週間前の事であった。主催者は、父の古くからの知り合いだ。このご時世には珍しく、移動手段にバスを指定していた。恐らく、自動車会社の社長である父を気遣ってのことであろう。しかし、父の予定は合わなかった。
「口惜しい」
重たい声で言う父の目には、クマがあった。
その姿には、昔の恰幅の良い男の面影はない。皺だらけの顔に、白髪の多い頭、枯れ木のような体躯、その癖、ポマードで髪を塗り固めている。衰弱と虚飾が入り交じった、没落貴族と呼ぶにふさわしい風貌だ。
「お前……行ってくるか?」
ゆっくりと瞳孔をこちらに向ける。
「お前は、この会社を継ぐ人間だ。彼にも一度、顔を見せておいた方がいい」
呪いの言葉を吐いた。沈み行く船の舵を任せると、そう言う。
「わかったよ、父さん」
俺は頷く。呪いから逃れることはできない。
近年、発明されたテレポートは、瞬く間に、世界の交通事情、そして、流通事情を一変させた。
車、船、電車、飛行機
全て淘汰された。
車会社を経営する我が一家も、例外なく、技術革新の波に飲まれた。
売れ筋だった電気自動車とハイブリッド車の生産中止。重鎮を含む社員達のリストラ。全国の自動車工場の閉鎖。低所得者向けの超小型車生産の一本化。
肉をそぎ落とし、骨になってもなお、沈没の未来は避けられない。
父は、日に日にやつれた。
(ああ、家のことを考えるのはいけない。……今日はパーティーを楽しもう)
俺は暗い思考を振り切って、無心に窓の外を眺めた。
バスは騒々しい町を抜けて、のどかな田園を走っている。
「良い景色だ」
隣席の通路沿いの男が言った。
シルバーのスーツに身を包み、髪は真っ白なライオンヘア、さらに長く白いヒゲを顎に蓄えている。
「……テレポートでは、この景色は味わえないな」
男はしみじみと言う。
「そうですね」
俺は、窓を見ながら、愛想返事をした。
「テレポートなど使う奴の気が知れない」
憎しみのこもった口調に、俺はギョッと男を見る。
彼の目は濁り、焦点が合っていない。凶人の形相であった。
「……私は昔、政治家だった。そして、子供は二人いた。弟は勉強が出来たが、兄は勉強が苦手でね。いわゆる鉄道オタクで、鉄道のことしか頭にないんだよ。……だがね、できの悪い子供の方が可愛いという風に、私はね、弟より、兄の方が可愛かった」
男は、俺の肩に話しかけている。
「兄は死んだよ、一週間前に。鉄道会社に勤続20年、汗水垂らして働いたが、クビを切られるのは一瞬だった。……心配で部屋を訪ねたとき、首を吊っていた息子を見つける。……私はね、七十年生きてきたが。この世にこれほど悲しい出来事があるとは、想像できなかった。息子に先立たれるのが、こんなに悲しい事だとは、思わなかった」
男は、唾を飲む。
「……私は、一人の政治家として、復讐をやり遂げてみせるよ。テレポートという、ふざけた技術が、この国にのさばることを許した政治家どもを、一人残らず、政界からたたき出す」
「……」
男の目の焦点はやはり合って居ない。
俺の方を向いているが、俺に話しかけている訳ではなかった。自分自身に、復讐の刃が錆びぬよう、憎しみが風化せぬように、言って聞かせているようだ。
「素晴らしい」
後部座席から、しわがれた声。
ひょこりと顔を出した後部座席の男は、禿げていて顔は痩せ細り、鋭く光る小さな目は、ハゲタカのようだった。
「私怨なれど、貴方のすることは正しい。テレポートは危険すぎる。あれの普及は、ニューワールドオーダー計画の一環。世界統一政府に向けた一つの布石なのだ」
ハゲタカの男は、鼻息を荒くして語る。
(陰謀論者か……)
何という悲運か。
そこそこ広いバスの中で、なぜこんな凶人達に囲まれなければならないのか。
「……その話詳しく聞かせてくれませんか?」
若い男の声。
通路を挟んだ向こうの席から、いかにもな好青年が身を乗り出している。
奇妙だ。
彼の顔に、冷笑はない。その瞳には、誠実と無垢な好奇心の光があった。気づけば、周りの席の人々も、この二人の老人に関心と同情の態度こそあれど、軽蔑の目は向けていない。
ハゲタカの男は咳払いを一つして、話し始めた。
「テレポートは、情報通信技術の応用だ。出発地点で、対象物の構造を解析、その原子の連続を二進法の羅列に置き換えて、到着地点に送信する。そして、出発地点の対象物を6000度で瞬間焼却。到着地点に、送られた情報を元に、3Dプリンターで物質を復元させる」
「ええ、知ってますとも。私の商売仇の技術ですから」
若い男は、頷いた。
(商売仇……)
この若い男も、俺と同じような境遇の持ち主かもしれない。テレポート技術を疎むが故に、テレポートに批判的なハゲタカの男に友好的なのか?
ハゲタカの男は続ける。
「読み取られた解析情報は編集禁止とされている。……当然だ。編集すれば、転送する前の人間と、転送された後の人間は、同一人物ではない。既にいた人間を消し、新たな人間を作り出したことと同義なのだから、しかし……」
ハゲタカの男は、高く人差し指を上げる。
「テレポート装置を設計、運営する会社のトップは、ある秘密結社の一員だ。彼らは、テレポートを利用して利用者を洗脳、否、秘密結社に都合の良い人間に作り変えているのだ!その証拠に――――」
ハゲタカの男は、意気揚々と語った。
身振り手振りをつけ、乗客の気持ちを煽るように。
(ふざけた話だ)
俺は嫌悪した。
ネット上に広がる、創作物の都市伝説となんら変わらない。それらは、耳に入れるかどうか自由選択できるからまだ良いものの。このしわがれた演説は、否応もなく鼓膜を揺らす。
己の境遇も相まって、テレポートをこき下ろす彼の主張は、負け犬の遠吠えに聞こえる。
延々と聞かされて、腹の底がフツフツと煮え始めた。俺は、感情の共有者を求めて周囲を見回す。
(……おかしい)
俺は愕然とする。
皆、男の演説に聞き入っていた。
よそ事をしたり、ハゲタカの男を睨む者は、一人もいない。
むしろ、ところどころ頷く者達までいる。
(俺が異質なのか?)
否、そんな訳はない。
現代人を時間の制約から解放したテレポートに対し、世論は肯定的だ。肯定的でない人でも、悪意に満ちたこの主張に、不快感を覚えないとは思えない。
(居心地が悪い)
胃の底が持ち上がり、胃液が波打つ。
まるで異界だ。
この寂れたバスの中、密室の中、時代に逆流する思想が渦巻いている。
(まともなのは自分だけか?)
周りの人間が、自分に同調することが決してない異物に見えた。否、民主主義に基づけば、このバスにおいて俺が異物なのだろう。
「――――――この中で、テレポートを利用しない者はいるか?」
ハゲタカの男が問いかける。
すると、一人、二人と手が上がり、やがて、老若男女の手の平が辺りを埋め尽くした。
「……これは驚きだ。こんなにも同士がいるとは……」
ハゲタカの男は、目を見開きその光景を眺めた。その口角のゆるみには、恍惚すら見て取れる。
「……なるほど。理解したぞ」
ハゲタカは、ほくそ笑む。
「今日のパーティー、パーティーと言うのは名目上で、主催者は、決起集会を開くつもりなのだろう。この国にのさばるテレポート技術、それを排他するための決起集会だ。……ここにいる皆は、それぞれテレポートに対して、思う所があるのではないか?」
肯定の沈黙。
「皆、テレポートと戦おう!国のあるべき姿を取り戻そう!」
ハゲタカは叫び、声は木霊する。
チラホラと同意の声が上がり、声は重なり、やがて熱狂の渦となった。
この上なく耳障りだ。
だが、耳を塞げば、俺は異端者とされるかもしれない。……それは避けたかった。
ハゲタカの推理は、恐らく正しい。テレポートに対する負の感情は、俺も持っている。本来来るはずの父は、俺以上だ。もし、父がこの場にいたなら、この狂気の熱狂に喜んで混じっていただろう。
憂鬱だった。
ハゲタカの推理が合っていたなら、俺は、このバスの居心地の悪さを、パーティー会場でも味わうことになるのだから。
ふと、俺は、視線をずらす。
こんな気味の悪い乗客を運ぶ運転手に、哀れみの視線を向ける。
目が合う。
運転手は、冷たい目をしていた。
人間らしい軽蔑の目ではない。
事務的な、かつて一民族の虐殺に加担した意思なき収容所の兵士のような。
焦点は運転手の顔から、バスの前方へ。
いつの間にか周りの田園は草原へと姿を変え、十メートル前方には、正方形の大理石の床。その四つの頂点には、ひょろりと長い鉄柱が立っている。バスは、正方形に侵入し、その中心で止まる。
「これは……」
絶句、そして理解した。
俺の父親が、このバスに招待された理由。
乗客の思想があまりに傾いていた理由。
誰がこのパーティーを企画したのか。
都市伝説は正しかった。
バスの中の無辜の反逆者は、熱狂の最中、外の異変には気づかない。
四本の鉄柱から、青い光が放たれる。6000度の熱は、俺達を瞬時に消し去った。
帰りのバスの中、皆、満足げな表情。
高級食材を使った料理、アンドロイドではない美女の華麗な舞。
完璧なパーティーだった。ただ一つを除いては……。
バスの中、舌打ちが響く。
何故?
何故だろう?
何故、主催者はこんなトロい乗り物で送迎する?
「テレポートがあれば、文句もないのにな」
隣の元政治家が言う。
「全くだ」
後ろのハゲタカが声で同意した。
オーラ
刑事は男にとっての天職だった。
彼には人殺しの素質がある人間を見抜く能力があり、さらに悪を許さぬ正義の心があった。
男は自分の仕事と力に誇りを持ち、殺人犯を次々に牢獄へ連行していった。
時が経ち、老いて刑事を辞めた男は町長から不思議な仕事を頼まれた。
街に産まれてくる赤ん坊を人殺しの素質があるものとそうでないものに仕分けて欲しい、と。
町長は危険な赤ん坊を隔離して善良な市民だけの街を作ろうとしていた。
そして、彼等の計画は成功した。 街は今よりさらに平和になり、善良な人々はより健やかに過ごした。
危険人物たちは牢獄に隔離され日の光を浴びることなく自分自身を絞殺した。
噂
よお、久しぶりだな〇〇。△△だ。本来なら、「拝啓」から始めるのが筋ってもんだが、お前も俺に学がないのは知ってるだろう?大目に見てくれ。
聞いたぜ、お前、今、□□大学にいるんだってなあ。昔から頭良かったけど大したもんだよ。
実はさ、今日お前に手紙を書いたのは、分け入って、お前に頼みたいことがあるからなんだ。
馬鹿な頼みだとは思うが、妖怪とかお化けについて詳しい知り合いを、俺に紹介してくれないか。
□□大学くらい優秀な大学だったら、そういう奴も一人くらいいるんじゃないかと思ってな。お前だけが頼みなんだ、よろしく頼む。
ps 今度の旧クラス会来いよ。
クラス会で会えなかったのは残念だったが、大学生も色々と忙しいみたいだからな、次に会える時を楽しみにしてるぜ!
…本当に会ってないもんな俺達、最後に会ったのいつだったけ?中学三年の夏休みだったか?懐かしすぎる!
ああ、後、最近お前のお母さんに会ったよ。手紙くれてありがとうってさ。
…お前さ、もしかしてこうゆうこと逐一お母さんに報告してるのか?もう二十歳なんだから親離れしたほうがいいぜ!
さて、本題に入るか、この前は変な頼み事して悪かったな。さすがの□□大学でも、物好きな奴はそうそういないってことか。でも、返事くれてサンキュな。
実は、この問題は、自分だけで解決しそうなんだ。だから、心配しないでくれ。じゃあな、また手紙書くよ。
ps ドッペルゲンガーが側にいるっていったら、お前は笑うか?
よお、前の手紙から三ヶ月ぶりだよな、久しぶり。
ところでさ、お前、前田優香って覚えてるか。中学の時の学園のマドンナ、あの、めちゃくちゃ可愛かった子。
なあ、驚くなよ。あいつ、俺の女になったんだよ。信じられないだろ!?
付き合うようになった経緯は説明しないけど、優香の奴、俺が有名企業に勤務してるって本気で思ってるんだぜ。カラオケボックスでフリーターしてる俺をな。
いやあ、「噂」の力ってスゲーよな。 〇〇、お前にだけは俺の秘密を教えてやる。
俺は今、「噂」を操る力を持ってる。いや、正確には「噂」を操れるドッペルゲンガーと仲良しなんだ。…なんのことか分からないだろ?俺もだ。そいつのことも、そいつの力もよくわからない。ただ一つ確かなのは、「噂」を操る力を使うには、その代償としてドッペルゲンガーの要求する「噂」を広めなければならないこと。
●●市議会議員は不倫しているらしいぜ。
こんな風にな。
…悪いな、お前のこと、利用する感じになっちまって。チェーンメールみたいに、お前がこれを広げる必要はないからな。
今日はこれぐらいにしておこうか、じゃあな、〇〇、また手紙書くよ。でかすぎる秘密は人に話したくなるもんだ。
ps デート費用稼ぐために株でも始めるかな
思った通りだ!株と「噂」の力は相性抜群だ。市場なんて人の噂の渦みたいなもんだ。「噂」を操れる俺が負ける訳がない。よかったな、お前への祝儀も弾んでやるぜ。
それにしても、お前も人が悪いな。結婚するなら結婚するって書いてくれればいいのによ。友達づてに聞かされた時はチョットばかしショックだったぜ。なーに、高校時代はモテまくってたらしいお前のことだ。いい女を捕まえたんだろ?結婚式呼べよな。
さて、俺の秘密の話をするか。俺のドッペルゲンガーなんだがな、これは都市伝説にあるものとは大きく違ってる。まず、鏡の中にしか姿を現さない。それに、俺の目に映るのも電話の子機みたいなもので、どうやら本体は俺の目に映らない所にいるらしい。鏡の虚像に信号を送って話しかけて来るんだとさ。
そうなるとドッペルゲンガーって名称も間違ってる気がするな。
…決めた!これから「噂の人」って呼ぶことにするぜ。
あと、奴の話では、俺は「噂」を広める素質があるらしい。奴に褒められたら一級品だよなあ。
ああ、そうだ。
△△山、近々噴火するらしいぜ。
ps ××不動産倒産するらしいぜ。
よお、結婚式の招待状まだ届いてないんだが、早く送ってくれないか?結構仲良かったし、それに、今は秘密の共有者だろ?
後、最近さ、「噂の人」と親しくなってきたんだよ。世間話みたいなものもするようになってきてさ。
奴の話は案外面白いんだよ。
〇〇はさ、人のウワサには、二種類あるって知ってるか。
噂と「噂」だよ。
噂は情報で、「噂」は虚構。噂は、猿にだって使える。あそこの川のほとりに果物がなっているらしい、あそこの丘は、他の群れの縄張りらしいってさ。
だが、「噂」は人間だけのものだ。
存在の根拠のある神はいるか?
クレジットカードでやり取りされる数字に実態はあるのか?
虚構だ、火のない所にたつ煙だ。
文明の中で生きる人間はこの「噂」のベールの中にしか存在できないらしい。
そして、「噂の人」はこの外側にいる、だから、内側の俺らにはその本体は知覚できないらしい。
「らしい」ってさ。面白いよな、この話だって奴らの「噂」に過ぎないかもしれないんだぜ。
こんなことを考えてると頭が痛くなってくるよ。痛い、本当に痛いな。
ああ、そうだ。糸田亮は麻薬に手を染めてるらしいぜ。…そいつは、彼女を奪った間男の名だ。俺を怒らせるとどうなるか思い知らせてやる。
ps 結婚式呼べよ
なぜ、結婚式の招待状を送らない?もしや、結婚は「噂」でしかないのか?何故そんなことをする?見栄か?意味のないことだろ。
…ああ、もしかしてそういうことなのか?
なるほど、お互い手遅れだな。
ps ………
「噂の人」が言うには、俺には素質があって、もう十分な力を持っているらしい。
しかし、あと一つ、「噂の人」になるには、超えるべきステップがあるらしい。
「噂」とは、火のない所にたつ煙のこと。
根拠がこの世にあっては行けない、そして、この世に語り手がいてもいけない。
死ぬという意味じゃない。虚構のベールの外側にいなくてはいけない。
つまり、俺は死んだらしい。
「俺は死んだらしい」、「俺は死んだらしい」 「俺は死んだらしい」、「俺は死んだらしい」 「俺は死んだらしい」
この言葉を言う度、綴る度、自分の存在が薄れていくのを感じる。
心臓は動いているのに、周りの奴らには、俺が死んだものだと刷り込まれていく。
もし、目の前に俺がいても、ベールの内側にいる彼等に、俺を知覚することはできない。
俺と〇〇は真逆だ。
そうだろ〇〇?
お前確か…中三の夏休みの最後に、交通事故で死んだよな?
だけど、お母さん、あんたは、息子の死が受け入れられなかった。
だから、「噂の人」に頼んでいろんな噂を立てたんだよな。
「〇〇は高校でモテてるらしい」
「〇〇は□□大学に受かったらしい」
「〇〇は結婚するらしい」
その「噂」は俺達の頭に〇〇は生きているものだと、そう刷り込ませた。
そして、あんたの頭にも。
筆跡も真似て、文通するくらいだ。あんたの中では本当に〇〇は生きているのかもな。
だがもう、終わりだ。
あんたもやがて「こっち」側に来ることになる。だから、俺は、あんたのしがらみをスッパリ切ってやることにするよ。
ps 「〇〇は死んだらしい」
天国との通信
男は科学者だった。しかし、世間は誰一人として彼を科学者だとは認めなかった。
男は、分け入った森に住み。母と妻と同居していた。夕方になるとカラスの死骸を森から持ち帰り、金色の立方体の装置から伸びる管をそれにつないだ。そして、ある特殊な電波を死骸に注入して、その波形を確認していた。
死後の世界では、装置から出る電波と同一の物が死者の魂から発されており、死体を門にして、その電波がこの世に流れ出てくる。そして、その電波は同一の電波に当たると、共鳴して波形が変わるようになっている。男は、この仮説の元、装置を使って、つまるところの死者との交信を図っていた。
世間と他の科学者は、決して彼を認めることはなかった。彼の実験は非科学的であり、倫理観にも背いている。彼の母も、毎日息子をなびった。
ただ一人、彼を尊重してくれるのは、幼なじみの妻だった。彼女は稼ぎのない夫のため、街に働きに出て家計を支えた。金はないが、二人は仲むつまじかった。
しかし、不幸なことに、ある日、妻は流行病に倒れてしまった。男は実験をやめて働き、薬代も稼いだ。だが、その甲斐もなく、彼女は間もなく他界した。
男は絶望に暮れながらも、妻を諦めることが出来なかった。男は妻に防腐処理を施して、壁沿いのベッドに寝かし、実験装置につなぎ、妻の遺体に電波を流した。天国との通信をしようとした。
しかし、カラスの死骸と同じように、波形に変化は見られない。それでも、男は毎日電波を流し続けた。
ある日、母が「通信」の様子を目にして取り乱した。
「現実を見なさい!」
母は、金の装置を破壊した。男は虚ろな目で母を見た。そして、何も言わずに新しい装置を作り始めた。母は絶望し、何も言わずに去って行った。
1年後、妻の命日に奇跡が起こった。
装置の波形に変化があったのだ。男は喜び、妻が死んで以来初めて笑顔を見せた。男は食卓で母にその出来事を話し、母は呆れたように男の喜び様を見ていた。
それから、天国の妻は、しばしば男の呼びかけに答えた。それは、必ず夜であり、昼には決して反応しなかった。生きる希望を取り戻した男は、生き生きとして、昼には街に働きに出るようになった。
しかし、その幸せな生活も長くは続かず、男は流行病にかかってしまった。病床に伏した男は自分の死を悟り、残される母のことを思って涙した。そして、母に言った。
「僕が死んだら、母さんが昔壊した装置を修理して、僕に繋げて欲しい。それで、僕の体に電波を流してくれ。あの世で僕はそれに応えるから、そうすれば寂しくないだろう」
母は涙を流して頷き、男の手を握った。
数日後に、男は死んだ。母は、男と彼の妻を火葬して同じ墓に埋めてやることにした。
遺体を運び出すとき、壁沿いのベッドに眠る妻には、二つの管がつけられていた。それは、男の装置から伸びる管と、もう一本、穴が空けられた壁から伸びる管であった。
隣の部屋は、母の自室だった。
「息子の安らかな最期を思えば、彼の実験も無駄ではなかった」
母はそう涙をこぼし、帰らない二人を偲んだ。