テレポート反対派
バスに揺られて、窓を見る。
曲線美の世界。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた横断歩道。
カーボンによる第三次技術革命を経た町は、平面の世界から解放され、不規則で混沌と、所狭しと、宙を占拠した。最早、鳥の入り込む隙間はなく、代わりに、AI搭載ドローンが、生物には許されぬ精密な軌道で、町を潜り抜けていく。
暗い。
道路という先時代の産物が、高騰した日照権を得られる訳もなく。カーボンの森の日陰に、死骸のように横たわっている。
この惨めな道が、そこを走る錆びたバスが、自分の行く末を暗示しているような……。
俺は憂鬱になる。
パーティーの招待状が来たのは、一週間前の事であった。主催者は、父の古くからの知り合いだ。このご時世には珍しく、移動手段にバスを指定していた。恐らく、自動車会社の社長である父を気遣ってのことであろう。しかし、父の予定は合わなかった。
「口惜しい」
重たい声で言う父の目には、クマがあった。
その姿には、昔の恰幅の良い男の面影はない。皺だらけの顔に、白髪の多い頭、枯れ木のような体躯、その癖、ポマードで髪を塗り固めている。衰弱と虚飾が入り交じった、没落貴族と呼ぶにふさわしい風貌だ。
「お前……行ってくるか?」
ゆっくりと瞳孔をこちらに向ける。
「お前は、この会社を継ぐ人間だ。彼にも一度、顔を見せておいた方がいい」
呪いの言葉を吐いた。沈み行く船の舵を任せると、そう言う。
「わかったよ、父さん」
俺は頷く。呪いから逃れることはできない。
近年、発明されたテレポートは、瞬く間に、世界の交通事情、そして、流通事情を一変させた。
車、船、電車、飛行機
全て淘汰された。
車会社を経営する我が一家も、例外なく、技術革新の波に飲まれた。
売れ筋だった電気自動車とハイブリッド車の生産中止。重鎮を含む社員達のリストラ。全国の自動車工場の閉鎖。低所得者向けの超小型車生産の一本化。
肉をそぎ落とし、骨になってもなお、沈没の未来は避けられない。
父は、日に日にやつれた。
(ああ、家のことを考えるのはいけない。……今日はパーティーを楽しもう)
俺は暗い思考を振り切って、無心に窓の外を眺めた。
バスは騒々しい町を抜けて、のどかな田園を走っている。
「良い景色だ」
隣席の通路沿いの男が言った。
シルバーのスーツに身を包み、髪は真っ白なライオンヘア、さらに長く白いヒゲを顎に蓄えている。
「……テレポートでは、この景色は味わえないな」
男はしみじみと言う。
「そうですね」
俺は、窓を見ながら、愛想返事をした。
「テレポートなど使う奴の気が知れない」
憎しみのこもった口調に、俺はギョッと男を見る。
彼の目は濁り、焦点が合っていない。凶人の形相であった。
「……私は昔、政治家だった。そして、子供は二人いた。弟は勉強が出来たが、兄は勉強が苦手でね。いわゆる鉄道オタクで、鉄道のことしか頭にないんだよ。……だがね、できの悪い子供の方が可愛いという風に、私はね、弟より、兄の方が可愛かった」
男は、俺の肩に話しかけている。
「兄は死んだよ、一週間前に。鉄道会社に勤続20年、汗水垂らして働いたが、クビを切られるのは一瞬だった。……心配で部屋を訪ねたとき、首を吊っていた息子を見つける。……私はね、七十年生きてきたが。この世にこれほど悲しい出来事があるとは、想像できなかった。息子に先立たれるのが、こんなに悲しい事だとは、思わなかった」
男は、唾を飲む。
「……私は、一人の政治家として、復讐をやり遂げてみせるよ。テレポートという、ふざけた技術が、この国にのさばることを許した政治家どもを、一人残らず、政界からたたき出す」
「……」
男の目の焦点はやはり合って居ない。
俺の方を向いているが、俺に話しかけている訳ではなかった。自分自身に、復讐の刃が錆びぬよう、憎しみが風化せぬように、言って聞かせているようだ。
「素晴らしい」
後部座席から、しわがれた声。
ひょこりと顔を出した後部座席の男は、禿げていて顔は痩せ細り、鋭く光る小さな目は、ハゲタカのようだった。
「私怨なれど、貴方のすることは正しい。テレポートは危険すぎる。あれの普及は、ニューワールドオーダー計画の一環。世界統一政府に向けた一つの布石なのだ」
ハゲタカの男は、鼻息を荒くして語る。
(陰謀論者か……)
何という悲運か。
そこそこ広いバスの中で、なぜこんな凶人達に囲まれなければならないのか。
「……その話詳しく聞かせてくれませんか?」
若い男の声。
通路を挟んだ向こうの席から、いかにもな好青年が身を乗り出している。
奇妙だ。
彼の顔に、冷笑はない。その瞳には、誠実と無垢な好奇心の光があった。気づけば、周りの席の人々も、この二人の老人に関心と同情の態度こそあれど、軽蔑の目は向けていない。
ハゲタカの男は咳払いを一つして、話し始めた。
「テレポートは、情報通信技術の応用だ。出発地点で、対象物の構造を解析、その原子の連続を二進法の羅列に置き換えて、到着地点に送信する。そして、出発地点の対象物を6000度で瞬間焼却。到着地点に、送られた情報を元に、3Dプリンターで物質を復元させる」
「ええ、知ってますとも。私の商売仇の技術ですから」
若い男は、頷いた。
(商売仇……)
この若い男も、俺と同じような境遇の持ち主かもしれない。テレポート技術を疎むが故に、テレポートに批判的なハゲタカの男に友好的なのか?
ハゲタカの男は続ける。
「読み取られた解析情報は編集禁止とされている。……当然だ。編集すれば、転送する前の人間と、転送された後の人間は、同一人物ではない。既にいた人間を消し、新たな人間を作り出したことと同義なのだから、しかし……」
ハゲタカの男は、高く人差し指を上げる。
「テレポート装置を設計、運営する会社のトップは、ある秘密結社の一員だ。彼らは、テレポートを利用して利用者を洗脳、否、秘密結社に都合の良い人間に作り変えているのだ!その証拠に――――」
ハゲタカの男は、意気揚々と語った。
身振り手振りをつけ、乗客の気持ちを煽るように。
(ふざけた話だ)
俺は嫌悪した。
ネット上に広がる、創作物の都市伝説となんら変わらない。それらは、耳に入れるかどうか自由選択できるからまだ良いものの。このしわがれた演説は、否応もなく鼓膜を揺らす。
己の境遇も相まって、テレポートをこき下ろす彼の主張は、負け犬の遠吠えに聞こえる。
延々と聞かされて、腹の底がフツフツと煮え始めた。俺は、感情の共有者を求めて周囲を見回す。
(……おかしい)
俺は愕然とする。
皆、男の演説に聞き入っていた。
よそ事をしたり、ハゲタカの男を睨む者は、一人もいない。
むしろ、ところどころ頷く者達までいる。
(俺が異質なのか?)
否、そんな訳はない。
現代人を時間の制約から解放したテレポートに対し、世論は肯定的だ。肯定的でない人でも、悪意に満ちたこの主張に、不快感を覚えないとは思えない。
(居心地が悪い)
胃の底が持ち上がり、胃液が波打つ。
まるで異界だ。
この寂れたバスの中、密室の中、時代に逆流する思想が渦巻いている。
(まともなのは自分だけか?)
周りの人間が、自分に同調することが決してない異物に見えた。否、民主主義に基づけば、このバスにおいて俺が異物なのだろう。
「――――――この中で、テレポートを利用しない者はいるか?」
ハゲタカの男が問いかける。
すると、一人、二人と手が上がり、やがて、老若男女の手の平が辺りを埋め尽くした。
「……これは驚きだ。こんなにも同士がいるとは……」
ハゲタカの男は、目を見開きその光景を眺めた。その口角のゆるみには、恍惚すら見て取れる。
「……なるほど。理解したぞ」
ハゲタカは、ほくそ笑む。
「今日のパーティー、パーティーと言うのは名目上で、主催者は、決起集会を開くつもりなのだろう。この国にのさばるテレポート技術、それを排他するための決起集会だ。……ここにいる皆は、それぞれテレポートに対して、思う所があるのではないか?」
肯定の沈黙。
「皆、テレポートと戦おう!国のあるべき姿を取り戻そう!」
ハゲタカは叫び、声は木霊する。
チラホラと同意の声が上がり、声は重なり、やがて熱狂の渦となった。
この上なく耳障りだ。
だが、耳を塞げば、俺は異端者とされるかもしれない。……それは避けたかった。
ハゲタカの推理は、恐らく正しい。テレポートに対する負の感情は、俺も持っている。本来来るはずの父は、俺以上だ。もし、父がこの場にいたなら、この狂気の熱狂に喜んで混じっていただろう。
憂鬱だった。
ハゲタカの推理が合っていたなら、俺は、このバスの居心地の悪さを、パーティー会場でも味わうことになるのだから。
ふと、俺は、視線をずらす。
こんな気味の悪い乗客を運ぶ運転手に、哀れみの視線を向ける。
目が合う。
運転手は、冷たい目をしていた。
人間らしい軽蔑の目ではない。
事務的な、かつて一民族の虐殺に加担した意思なき収容所の兵士のような。
焦点は運転手の顔から、バスの前方へ。
いつの間にか周りの田園は草原へと姿を変え、十メートル前方には、正方形の大理石の床。その四つの頂点には、ひょろりと長い鉄柱が立っている。バスは、正方形に侵入し、その中心で止まる。
「これは……」
絶句、そして理解した。
俺の父親が、このバスに招待された理由。
乗客の思想があまりに傾いていた理由。
誰がこのパーティーを企画したのか。
都市伝説は正しかった。
バスの中の無辜の反逆者は、熱狂の最中、外の異変には気づかない。
四本の鉄柱から、青い光が放たれる。6000度の熱は、俺達を瞬時に消し去った。
帰りのバスの中、皆、満足げな表情。
高級食材を使った料理、アンドロイドではない美女の華麗な舞。
完璧なパーティーだった。ただ一つを除いては……。
バスの中、舌打ちが響く。
何故?
何故だろう?
何故、主催者はこんなトロい乗り物で送迎する?
「テレポートがあれば、文句もないのにな」
隣の元政治家が言う。
「全くだ」
後ろのハゲタカが声で同意した。